日本におけるライフコーチの草分け
自信のない方専属ライフコーチの林忠之です。
もう2週間くらい前の話ですが、
7月の3連休にコーチとしての基盤を
より強化するために、
2泊3日の合宿に参加してきました。
この3日間は
じっくり自分と向き合う時間。
この合宿のテーマは
「家族」
「セルフイメージ」
などのキーワードを通して
自分と向き合うことです。
ボクはそれに加えて、
「お金」について
自分自身がどう思っているのか?
向き合ってきました。
この中で改めて確認したことは
親が「お金」をどう捉えていたのか?
この点が自分に強く影響していること。
でも、こんなことは
良くも悪くも影響していることは
肌で感じていたので
ボクにとっては小さなことでした。
今回、ボクが参加して
良かったと思えたのは
今の自分に一番大切だと思っていた
「お金」のことではなく
「家族」のことでした。
昭和16年に生まれた父。
戦時中で、満州で生まれたと
聞いたことがあります。
ボクは父方の祖父には
会ったことがありません。
名前も知りません。
祖母は二人いました。
父にとっては生みの母と
育ての母がいたそうで、
ボクが小学生の時に
ふたりともお亡くなりになりました。
当時はあまり
気にも留めていなかったのですが、
今から考えると
戦時中、混乱の中に生きていた
一つの証なんだろうと思います。
こんな感じだったので、
ボクの父は、お父さん(祖父)との
接点があまりなかったことが
想像されます。
父24歳、母18歳の
昭和40年に長男が生まれ、
生まれてすぐに亡くなりました。
そして2回目の長男として
昭和44年(父28歳、母22歳)に
ボクが生まれました。
幼稚園時代に、
当時「治療法がない」と言われた
紫斑病を乗り越えました。
ちょうど同じ頃、
重度椎間板ヘルニアを患い
数分間しか
立っていられなくなった父は
仕事を失いました。
この頃は30代前半。
色々と商売を始めようとしますが、
うまく行かなくて結果的に
生活保護を受けることになります。
この時には2つ下に弟。
さらに2つ下に妹がいました。
九州の田舎から出てきた
中卒の学のない2人。
父は働き盛りの30代前半で
仕事を失い、
母も身体が強い方ではなく、
妻と子ども3人を
守らなければならくなりました。
47歳で健康。
妻と子ども(12歳)1人。
満たされた状態でも、
ボクは家族を守る
プレッシャーを感じています。
父の状況を想像すると、
どれだけ辛かったのか……
どんな強いプレッシャーを
感じていたのか?
父には、母以外にも女性がいました。
今でも当然、共感こそできませんが、
人間の心理として
第3の場を持つことで
バランスをとっていたんだなと
父の弱さを感じることができます。
18年前、ボクが29歳の時に
父は57歳で亡くなっています。
高校時代には、
父のこの弱さを許すことができずに、
責め続けていましたが、
これまで何度も父のことを振り返りながら、
少しずつ父のことを許し、
今ではとても尊敬できるようになりました。
父との数少ない思い出。
夏になると思い出します。
小さかったとき、
亀の背中に乗るように
プールで泳ぐ父の背中に
乗せてもらうのが大好きでした。
大きな背中でした。
娘とプールにいった時、
父と同じように
娘を背中に乗せて遊びました。
でも、ボクの背中は、
まだまだ父の背中ほど
大きくはないように感じています。
こうして、父のことを想像し、
生きている母にも思いを寄せ、
自分自身が生まれ、
育ててもらったことに感謝し、
妻と出会い、娘に命をつなげたこと、
そして守りたい人がいること。
すべてが、当たり前ではなく、
本当に本当に素晴らしいことだと
感じられるようになりました。
ボクはコーチングに出会い、
コーチを付け、コーチを行い、
また、トレーニングを積み重ねる中で
「今ここ」を「生きること」を
とても大切に感じられるようになりました。
そして、これも合宿の成果の一つですが、
今後は、自分自身が得てきたこの感覚を
もっともっとたくさんの方々と
「分かち合える人」(セルフイメージ)でいたい。
分かち合うことに、
自分の命を使っていこう!
そう思っています。
「ライフコーチとは、
職業ではなく、生き方です」
更に強く、
ボクの中に刻まれた気がします。
☆
幸せな人生の生き方は、
とってもシンプル。
本当に大切なことはシンプル。
「時間がない」が
口癖のあなたにこそ
自分と向き合う時間を
とって欲しいと願うばかり。
心が知っている
あなたらしい人生への
サインを感じて欲しい。
自分の人生と
しっかり向き合いたい方。
お待ちしています。
https://hayashitadayuki.com
☆コーチングのクライアントは、福岡県、佐賀県、長崎県、鹿児島県、熊本県、山口県、島根県、広島県、岡山県、高知県、香川県、兵庫県、京都府、大阪府、和歌山県、滋賀県、愛知県、富山県、石川県、新潟県、長野県、静岡県、神奈川県、東京都、千葉県、埼玉県、茨城県、群馬県、福島県、宮城県、岩手県、北海道、海外(カナダ・バンクーバー、フランス・パリ、イギリス・ロンドン、中国・香港、シンガポール、タイ・バンコク、ベルギー・ブリュッセル、ベトナム・ホーチミン、カンボジア・プノンペン)在住の日本人・アメリカ人・中国(香港)人・フランス人からご契約いただいています。
1969年、佐賀県生まれ、大阪府堺市育ち。幼少期から生活保護家庭で強い劣等感を抱えて育つ。中学二年生の夏、脳性マヒの級友が、300mを1時間以上かけて泳いだことに感動し、千葉大学教育学部養護学校教員養成課程に進学。1992年に卒業後、劣等感から抜け出すべく俳優の道へ。国民的アイドルとの共演を果たすが、その後挫折。28歳でリクルートグループに就職。求人広告営業で8年連続表彰されるが、部下育成につまずき、コーチングと出会う。コーチの「人を応援する生き方」に使命を感じ、2008年独立。株式会社プラス・スタンダード代表取締役に就任。