日本におけるライフコーチの草分け
自信のない方専属ライフコーチの林忠之です。
これまであなたは
どんな選択をしてきましたか?
子どもの頃から
ちょっと振り返ってみてください。
「続けること」が良しとされる
風潮がなんとなくありますが、
ボクはやめてきたものがたくさん(^^;)
すっかり忘れていましたが、
小学校時代は空手を数ヶ月で撤退。
習字もけっこう早く撤退。
そろばんは2年くらいはやったかな。
珠算2級、暗算3級で、
実用的で役立ってる(^^)
中学時代は卓球部。
こちらは先輩の理不尽さに
耐え切れず1ヶ月で撤退。
その後、卒業まで陸上部。
短・中・長距離、跳躍、投擲など
あれこれ試す中で
2年になって110mハードルを始め、
初めての試合出場(堺市)で3位に。
大阪府でも10位になった。
高校に入り、迷わず陸上部へ。
楽しめずに3ヶ月で退部。
マクドナルドのバイトも3ヶ月。
大学入試の受験科目。
高校時代は結局、
部活はなしだったものの、
千葉大学教育学部の2次試験は
数・国・実技から2科目選択の中、
「国語」「実技(体育)」を選択。
「なぜ数学で受けないんだ?」と
納得いかなさそうに父から聞かれ、
高校の成績表(5段階評価)
体育:唯一の「5」を見せて
一瞬で黙らせた(笑)
高倍率の中、無事に現役合格。
唯一合格した私立大学は
法政大学法学部法律学科。
入試科目は、英・国は必須。
社・数・理から1科目選択。
文系ながら自分が勝てそうな
科目を選択した結果、
受験科目は、英・国と化学で勝負。
過去問で勝利を確信し、
化学を選択(^^)
東京学芸大学は足切り。
願書出しただけで
2次試験受験もできず。
早稲田大学社会科学部、
法政大学社会学部と、
合計3つの不合格。
大学時代のバイト。
大手E光ゼミナールは、
数ヶ月で撤退。
個別塾や家庭教師は4年間。
「少数」「1対1」が好きらしい。
サークルも子どもと遊ぶ系、
軽音楽系は半年くらいで撤退。
芸能の仕事も、モデルの中でも、
ファッションはボクには難易度が高く、
かっこいい系では全く歯が立たない。
自分が活きる場を探す中で、
動きのある映像系(CFやPV)、
スチールでも表情の豊かさが
求められるもので道が開けた。
リクルートのあと転職した
教育系ベンチャー企業は1年で撤退。
あの1年。通勤も含め、苦しかった。
その後も、違うな、合わないな、
苦しいな、と思ったら早期撤退。
逆に続いているものは
途切れ途切れだけど
高校からやってる写真。
リクルートでの仕事10年。
制作2年と営業8年やったけど、
これは広告の仕事が
楽しかったんだろうな。
ただ1人のターゲットを想像し、
メッセージを届け、
心を動かし、行動を促すことが
楽しかったんだと感じる。
これはブログ書いたり、
本書いたり、に繋がってる(^^)
そしてコーチング10年。
大学時代のバイトと同じく、
「少人数」「個別」がここにも(^^)
そして「コーチング」という領域内で、
はじめは「ビジネス」をメインに
考えて活動を始めたんだけど、
自分の人生の体験が丸ごと活きる
「ライフコーチング」で
「自信のない方専属」が
自分が活きる場所って感じたんだよね。
いろんなことが続かなくて
自分はダメなやつだ、
なんて思ってる人がいたら、
ボクみたいに色々やる中で
自分が活かせる場所を
探すやり方もあるんだなぁって
思ってもらえれば嬉しいです(^^)
あなたが活かせる場所、
ボクと一緒に探してみませんか?
じっくりと気長に応援しますよー。
☆
幸せな人生の生き方は、
とってもシンプル。
本当に大切なことはシンプル。
「時間がない」が
口癖のあなたにこそ
自分と向き合う時間を
とって欲しいと願うばかり。
心が知っている
あなたらしい人生への
サインを感じて欲しい。
自分の人生と
しっかり向き合いたい方。
お待ちしています。
https://hayashitadayuki.com
☆コーチングのクライアントは、福岡県、佐賀県、長崎県、鹿児島県、熊本県、山口県、島根県、広島県、岡山県、高知県、香川県、兵庫県、京都府、大阪府、和歌山県、滋賀県、愛知県、富山県、石川県、新潟県、長野県、静岡県、神奈川県、東京都、千葉県、埼玉県、茨城県、群馬県、福島県、宮城県、岩手県、北海道、海外(カナダ・バンクーバー、フランス・パリ、イギリス・ロンドン、中国・香港、シンガポール、タイ・バンコク、ベルギー・ブリュッセル、ベトナム・ホーチミン)からご契約いただいています。
1969年、佐賀県生まれ、大阪府堺市育ち。幼少期から生活保護家庭で強い劣等感を抱えて育つ。中学二年生の夏、脳性マヒの級友が、300mを1時間以上かけて泳いだことに感動し、千葉大学教育学部養護学校教員養成課程に進学。1992年に卒業後、劣等感から抜け出すべく俳優の道へ。国民的アイドルとの共演を果たすが、その後挫折。28歳でリクルートグループに就職。求人広告営業で8年連続表彰されるが、部下育成につまずき、コーチングと出会う。コーチの「人を応援する生き方」に使命を感じ、2008年独立。株式会社プラス・スタンダード代表取締役に就任。