ずっと生きづらさを感じていて、もっと自由に生きていけたらいいなぁって思うんですけど、どうしたらいいかわからなくて…そんな生き方ってできるのでしょうか?
質問してくれて、ありがとう。じゃぁ、今日は、ボク自身が感じていることを記事に書こうかな。

ボクにとって「自由」というのは、本当に大事な人生の要素らしいんだよね。
これは、コーチングに出会ってから、強く自覚できるようになりました。
その裏返しで、指示命令されるのが嫌だし、気に入る選択肢がないのにその中から選ばなくちゃいけないようなシーンでは、とってもストレスに感じる。
子どもみたいだけれど、物ごとが自分の思うようにいかない時にものすごく悲しい気持ちになるしイライラするし、感情が動く。
自分でもなんでイライラしているのかわからなくて感情を持て余すようなこともある。
自分でどうにもできないことにエネルギーを持っていかれてることもある。
自分が少し成長したなと思えるのは、そういう自分にちゃんと気づいて、その感情を自分自身でしっかりと受け止めてあげていること。
妻から言わせれば「全然できてないじゃん」という場面も、まだまだあるとは思うけれど、会社員時代のように、自覚ないままにイライラを撒き散らすってことはしていないと思う。(あくまでも、思う、だけどね。笑)
自由を手にするためには、同時に、自分の人生の責任を100%自分で負っている意識が必要だと思っている。
人のせいにしないからこそ、自由が得られる。
自分の人生の責任を自分で負う、という言葉で、「責任」に強く反応して「怖い」と感じる人がいるみたいだけど。
しかし、これは、どう感じようが、他の人には自分の人生の責任を負えないし、負われる(コントロールされる)としたら、今度は自由を失ってしまう。
子どもの頃は、親が子どもの人生の責任を負っている意識だから、子どもを「躾」も含め、コントロールする。
自分が子どもの頃の感覚を30歳、40歳になっても持ち続けている人がいて、例えば「転職する」許可を親に求める人もいる。それは、ちょっと不自由だし、窮屈になるよね。
でも、ボク自身がどこまで学んで想像力豊かにしても、伝統のある「家系」を背負っているような方の思考や感情感覚をボクにはわからないので、「あなたにはわからないよ」と言われてしまえばそうなんだろうなと思う。
そういう方は、そこも含めて、最終的には「自分で家系を守る」ことを選んでいるということだし、もしそれを窮屈に感じているならば、窮屈でいることを選んでいる、ということなんだと思う。
その状態が幸せなのか、不幸せなのかは、当人にしかわからないし、不幸で納得していなくて我慢しているとしても、その人がそれを受け入れているのであれば、他人がどうこういうことでもなく、それまでだよね。
でもでも。そういう方が、「変えるつもりはないけど、話だけでも聞いてほしい」とか「とにかく自分を保つために、吐き出させてほしい」とか、そんな人がいたらボクは喜んで話を聞くだろう。
それはそれで、その人にとって身を削って、人生を賭けて、自分を犠牲にしてでも、守りたいものがあって、それを一番大事にして生きていく、ということなのだと思うから。
「自分にしか守れない!」というような使命感を持って生きているのだと思う。
ま、でも、それ自体も、周りの家族は誰も「守って欲しい」なんて思ってなくて、独りよがりみたいなケースも多々あるわけだけどね。
夢を持ってる人は、自分だけでも「出来るかもしれないじゃん」くらいのレベルでも、信じてあげて欲しい。
周りは、夢を潰してくる人だらけだし、否定してくる人だらけ。
ボクは夢は叶うと思ってる。
叶い方は、自分が思ってる叶い方とはまったく違うこともたくさんあるけど、自分らしい人生を諦めなければ、結局叶う。
でもさ、究極、叶っても、叶わなくても、誰に何を言われる筋のものでもないし、もし、言われたとしても(なんで謝るのかわかんないけど笑)「ごめんなさい」と言っとけばいいんじゃないか?それ以上のなにか必要か??
叶えようとして行動している自分が好きだったり、カッコいいと思ったり、そのプロセスで色んな人との出会いがあったり、純粋に楽しいなーって思えるならば、それ自体に価値があるって思うんだよね。
あなたが欲しい答えにはなってないかもしれないけれど、自由に生きていくっていうのは、どんな人生も自分で選んでいる自覚を持つこと、その選択の責任を自分が負っていること、こんな感覚とセットなんだろうなぁって思う。
あー旅に出たくなった。


1969年、佐賀県生まれ、大阪府堺市育ち。幼少期から生活保護家庭で強い劣等感を抱えて育つ。中学二年生の夏、脳性マヒの級友が、300mを1時間以上かけて泳いだことに感動し、千葉大学教育学部養護学校教員養成課程に進学。1992年に卒業後、劣等感から抜け出すべく俳優の道へ。国民的アイドルとの共演を果たすが、その後挫折。28歳でリクルートグループに就職。求人広告営業で8年連続表彰されるが、部下育成につまずき、コーチングと出会う。コーチの「人を応援する生き方」に使命を感じ、2008年独立。株式会社プラス・スタンダード代表取締役に就任。