1998年9月、父・忠史死亡、享年57歳
1999年12月、結花と入籍。
2000年11月、マンション購入。東京都江戸川区から、横浜市青葉区へ転入。
2004年1月、娘の薫、誕生。
2006年9月、国際コーチング連盟認定プログラム「コーチトレーニングプログラム」(コーチ21)開始。
2007年2月、リクルートHRマーケティングを退職し、eラーニングを利用した研修事業を行うベンチャーへ転職。
2007年7月、(財)生涯学習開発財団認定コーチ 資格取得。コーチとしての活動をさらに本格化。
〜長男〜
唐突だが、僕は長男だ。長男なのに、ひとりだけ親元を離れ、生活しているということに、ほんの少しだけ親に申し訳なさを感じたり、親の近くで生活をしている弟や妹に、感謝の気持ちがある。
長女である妻との会話で、たまに話題にあがるが、「長」と「次」では、大きな違いがあると感じる。※ここでいう「長」とは、「第一子」を指している。お兄ちゃんがいる長女や、お姉ちゃんがいる長男は、「長」ではなく「次」とさせていただきたい。
つまり、「長」であることの役割を強く意識しているのである。こう強く意識し始めたのは、いつの頃からだろうか?2段階くらい、あっただろうか?
1回目は高校生の時、親の夫婦間の信頼関係が原因で、家族全体の信頼関係が危うくなったとき。そして2回目は、父の死を迎えたとき。
たった今、これを書いていて気づいたことだが、父も母も上に兄がいて、本人は2番目。だから、先を見通して計画的に準備を進める僕のようなタイプからするとあくまでも主観だけれど、どこか楽天的というか、のんびりした部分があり、やきもきする場面が多くあった。
父は、98年9月3日、他界した。享年57歳。この出来事が、強烈に私に「長」を意識させた。幸いというか、残念ながらというか、実家は、どちらかというと貧しく、公営賃貸住宅で、財産という財産もなく、母や弟・妹とも分け合うようなものは何も残らなかった。
逆に、父がいなくなって、ひとりになった母に嫌がらせや、借金の取り立てなどが、降りかかってこないかということが不安だった。が、小さな問題はいくつかあったものの、恐れていたようなことにはならなかった。父は本当に義理堅く、僕たち家族以外にとっては本当に良い人だったという噂しか耳に入ってこなかった。
父を亡くして、父の代わりに母や弟・妹を守らなければ。。。と思う意識は非常に強くなった。弟、妹も、僕よりも先に結婚し、子供もいて、3人とも僕に助けて貰おうなんて意識がないのは、もちろんわかっている。でも、「家族に何かあったら、自分が守らなきゃ」という気持ちは非常に強くなった。
そして、自分も結婚し、子供ができた今、家長として、自分の家族は当然の事ながら、自分の母、妻のご両親と妻の弟、そして自分の弟・妹とその家族まで、誰もそんなことを、僕に期待していないということはわかりつつ、何かあったら。。。と、考えてしまう。「俺がいなくちゃ、俺ががんばらなくちゃ」と、どこまでいっても自意識過剰な「長男」なのだった。
〜コーチングとの出会い〜
06年6月頃だったろうか。10年で会社を辞めると決めていて、周囲にも宣言していた10年目の年のこと。前々から「次はどうしよう」と、リクルート卒業の時期を見計らっていたとき。37歳になって、遅くとも丸10年になる来年7月には。。。なんて考えていたときだった。
会社で事件が起きた。当時、僕は30名くらいのチームリーダーをしていたのだけれど、そのメンバーたちから無視される様な状況に陥った。当然、原因は、僕にある。一言で言えば「パワハラ」。「なんでこんなこともできねぇんだよ!」「やる気ないんだったら、家に帰れ!」と怒鳴り散らし、時にはボールペンを投げつけた。営業成績が悪い人が、タバコ部屋でぷかぁ〜っとタバコを吸っているのをみると、許せなかった。「テメェにタバコ吸ってる暇なんかねぇんだよ!」と胸ぐらを掴んで引っ張り出した。
今から考えると、劣等感が反応していたんだと思う。彼らは、自分の考えを持ち、それをベースに仕事をしていただけで、決して、僕のことを馬鹿にして、僕の言うことを聞かなかったわけではなかった。なのに、「俺のいうことを聞かないなんて、俺を馬鹿にするな!」という感覚になってしまっていたのだ。
そんな日々が続く夜、ワールドビジネスサテライトというテレビ東京の経済ニュース番組を妻と2人で観ていたら、部下の育成手法、組織活性のスキルとして「コーチング」というものが注目を浴びています!ということで、コーチ21社(現:コーチ・エィ社)が紹介されていた。
その報道を観ていた妻が、「これ、あなた向いてそうじゃない?」と一言。今から振り返ると、会社の中でメンバーたちから無視されてしまうくらい彼らとのコミュニケーションがうまくいっていないことを彼女は気づいていたのかもしれない。
ボクは「そう??」なんて言いながら、「コーチング」というものに対してアンテナがビンビンに立ち、感度良好な状態が続いていた。
新聞を読んでいても、電車に乗って中吊り広告を見ていても、「コーチング」という文字が、あちこちから私の中に飛び込んでくるのだった。そしてますます興味が強くなり、コーチ21社で行われていたコーチトレーニングプログラムの説明会に参加。個人が払うには少しハードルの高い60万円の講座だったが、説明会が終わった後には、気持ちはほぼ固まっていた。そして、7月には申込み手続きを済ませ、9月のクラスからトレーニングを開始。こうして、私の人生に、コーチングが加わったのだった。
〜コーチングと出会ったことで生まれた成果〜
コーチングをしたり、受けたりすることで、得たものや、ボク自身に起こった変化などを整理しておこうと思う。味気ない箇条書きだけれど、コーチングに興味を持ったあなたの参考になればと思う。
・毎日、自分のやりたいことに向かっている感覚がある。
・よけいな不安や、もやもや感がなくなり、常に気持ちが整理されている状態が保てる。
・漠然とした無駄な時間がなくなり、1年が3年分、いや5年分の濃さになった気がする。
・毎日が楽しい。何事も楽しい。悲しいこと、辛いことも、人生の一部として”楽しい”。
・環境に左右されず、自分の人生を自分で創っている感覚が強くなった。
・弱点よりも、強みを意識し、それを個性として伸ばそうと考えるようになった。
・自分の弱さや力が足りない部分を受け入れ、等身大の自分を好きになった。
・その結果、自分を必要以上に強く見せたり、優秀ぶらなくなった。
・どんどん力が抜けて、どんな場面でも自分らしく振る舞えるようになった。
・色々な自分を許せたことで、他人にも優しくなれた。
・他人の考え方を尊重し、それぞれを認められるようになった。
・人から感謝されたり、認められることが多くなった。
・色々な方とのコミュニケーションが円滑になった。
・家族といる時間をこれまで以上に大切にするようになった。
・人生の目的が明確になったので迷わなくなった。
・人は誰もが自分で描いた世界の中で生きているのがわかった。
もっと、もっと、もっと、あると思う。
あなたにも、ぜひ、この感覚。生きやすさを味わって欲しい。
1969年、佐賀県生まれ、大阪府堺市育ち。幼少期から生活保護家庭で強い劣等感を抱えて育つ。中学二年生の夏、脳性マヒの級友が、300mを1時間以上かけて泳いだことに感動し、千葉大学教育学部養護学校教員養成課程に進学。1992年に卒業後、劣等感から抜け出すべく俳優の道へ。国民的アイドルとの共演を果たすが、その後挫折。28歳でリクルートグループに就職。求人広告営業で8年連続表彰されるが、部下育成につまずき、コーチングと出会う。コーチの「人を応援する生き方」に使命を感じ、2008年独立。株式会社プラス・スタンダード代表取締役に就任。