自分史 フリーター、教員、役者時代

1992年3月、千葉大学養護学校教員養成課程卒業。
ガソリンスタンドでバイト後、友人に誘われ千葉県市川市事故対策教員に。
その後、コンビニエンスストアの夜勤、
リクルートグループの制作会社でのトラフィックなどのバイトをしながら、
役者、タレント、モデルなどの活動を行う。

〜バイト、学校の臨時教員時代〜

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フリーターとして一番はじめにしたバイトは、ガソリンスタンドのスタッフ。フロム・エーというアルバイト情報誌で見つけた。ガソリンスタンドを選んだもっとも大きな理由。それは、顔つきを変えたかったから。所属事務所の社長に「お前はもっと男っぽい顔つきになったほうがいい」と言われたことがきっかけ。一般的なイメージはどうだわからないが、僕は「男らしい仕事」がしたくて、ガソリンスタンドを選んだのだった。

そこは、楽しかった。ヤンキーっぽい20歳の男の子が社員で働いていて、いままでの人間関係では知り合えない仲間ができた。ほかにも、元自動車ディーラーの整備士さんや、一部上場企業の工場で働いている方がダブルワークでバイトしていたり、高校をやめてアルバイトをしていたり、、、と個性的な人がたくさんいた。

仕事の中身も、お店・レジの開け閉め、一日の売り上げ精算、ガソリンの仕入れ、オイル交換など簡単な自動車の整備も任せてもらった。 しかし4〜12月の8ヶ月しか続かなかった。なぜか? 冬に耐えられなかった。そう、つまり、寒くて、手が冷たくて我慢ができなかった。

弱い。今考えても、、、弱い。「男らしい仕事」を目指して始めた割には、弱かった(涙)

そんなころ大学時代のつながりで、1ヶ月間だけの臨時教員の仕事をしないか?という話が舞い込んできた。単純に楽しそうだ、ということで、教育委員会に面接に行き、あっさり採用となった。

担当の仕事は、中学校の体育。2年生女子担当。そいえば、僕の仕事が1ヶ月だけというのは、どんな理由で休む先生の代わりなのか、と後になって疑問になった。。。が、確認する間もなく、初出勤。

「・・・・・・」

言葉が出なかった。制服のある中学校にも関わらず、私服の生徒がたばこをくわえ、校庭で野球をしている。あとから知ったことだが、市内でもっとも荒れていると有名な中学校らしい。僕は、生徒に殴られて入院した先生の代用ということらしい。そりゃあ、あっさりと採用になるわけだ。。。こうして僕の短くて濃い教員生活は幕を開けた。

〜命懸け〜

凍りつくような真冬の江戸川に一度だけ、肩まで浸かったことがある。水温は何度だったんだろう? あまりの水の冷たさに、心臓が強く反応し、胸一杯の大きさに膨らんで鼓動しているかのような感覚を味わった。同時に、「バクッ、バクッ」という音が、身体の内部を伝わって鼓膜を刺激した。本当に、この時ばかりは、「心臓麻痺で死ぬ」と怖くなった。

この出来事は、担当していた陸上部の部活中の話。江戸川の堤防でジョギングをしていると、ある女子生徒が、寂しさからか、明らかに”自分を追っかけてきて欲しい”と言わんばかりに、僕の目の前で「死んでやる!」と大きな声で叫びながら、江戸川にどんどん入って行ったのだった。

「このバカ!」

小さな声を発しながら、僕の走る方向は、自然の川の方へと進路を変えていた。そして今度は、部員に大声で指示を出した。「職員室と保健室に連絡を!」どんどん小さくなる彼女を追いかけながら、 靴の中は一瞬で冷水に満たされ、すぐに水位は膝に達し、腰のあたりに届いた時には、心臓がびっくりしているのを自覚した。足をすくわれて川に流されないように注意しながら、必死の思いで彼女の背中を追い、徐々に彼女に近づいた。アゴのところに水位が届いたくらいのところで、彼女の肩に手が届いた。今から思えば、身長の差からすると、彼女の方は、すでに足が届かない深さになっていたのかもしれない。捕まえてから、どのように岸に戻ったのか、無我夢中であまり覚えていない。まさに命懸けだった。

僕は職員室へ戻り、毛布にくるまって、ストーブで暖をとった。次の日。。。。僕は風邪をひいて、熱を出したが何とか出勤した。職員室で、鼻をズルズルいわせ、ぼーっとしていた。そんな、僕のところに、あの女子生徒が、お礼を言いにやってきた。

なんと彼女は元気いっぱい。風邪も引いておらず、すごーく明るい笑顔。「先生!昨日はごめんね。ありがとうね!」「あー、いいよ。何もなくて、本当に良かったな。」「先生、風邪引いちゃったね」「うん。俺、弱いな。ははは。。。」命を懸けた行動によって、彼女の心は、一時的でも、元気になった。よかった、よかった。でも、バイトに続き、相変わらず、僕は弱かった(涙)

〜教員、舞台俳優、そしてリクルートとの出会い〜

教員生活は、この学校を皮切りに、次の1ヶ月は、市内二番目に荒れた学校の体育と社会の担当で勤務。そして、次の1ヶ月は小学校の特殊学級で勤務して、合計3ヶ月の教員生活を終えた。

その後、オーディションで出会った作家兼演出家のプロデュースする舞台公演に出演することになり、舞台俳優としてデビュー。昼間は稽古。夜中はコンビニエンスストアでバイトという生活が始まった。

ダニエル・キイスが書いた精神世界がベースとなった舞台。1作目が、青山円形劇場。2作目は、赤坂Vシアター。そして、最後の出演は、大田区の下丸子演劇フェスタへの参加作品となった。この間、ケーブルテレビのレポーターの仕事(あまりに下手すぎて、数回で打ち切り。涙。)やモデルの仕事も徐々に増えてきて、夜のバイト生活もきつくなってきた。

そこで、出会ったのがリクルートグループ。昼のバイトを探している、モデルの仕事もあるので休みの融通のきく職場であること、などなど条件も結構きつかったのだが、当時、つきあっていた彼女の紹介で、リクルートの出版物を制作している子会社のトラフィッカー(原稿を運ぶ人)として採用して頂き、昼のアルバイトに就くことができた。実はこの会社、大学時代の先輩が新卒で入社し、彼女から愚痴をたくさん聞いていたし、彼女には合わなくて1年経たずに辞めてしまったので悪い印象しかない会社だった。この環境は、僕にとってすっごく新鮮だったし、戸惑いも大きかった。これまで抱いていた「サラリーマン」へのイメージが崩壊していったのだった。

まずは、面接。新卒時に就職活動もしたことがなかったので、立派なオフィスビルに入るだけで、僕の緊張は最高潮に達した。筆記試験は普通にできたものの、面接では会話にならず、ぼろぼろ。通常、1回で決まるアルバイトの面接だったが、会ってくださった人事部のマネージャーさんが「うーん、ようわからん」と営業部のマネージャーさんに報告したとのことで、「再面接」となり、2回目の面接へ。

さすがに2回目の面接は、少し落ち着き、普通に会話することができた。あとで聞いた話だが、入室後のはじめの一言、「こんにちは」 の挨拶だけで、僕の採用を決めたらしい。出会いって、こんなものかもしれない。晴れて、僕もリクルートグループの一員になることができたのだった。しかし、このバイトが自分の人生を大きく方向付けることになろうとは。。。