☆「普通」に憧れていた生活保護家庭の子どもの話。

日本におけるライフコーチの草分け
自信のない方専属ライフコーチの林忠之です。

最近読み始めてくださった方も
増えているようなので
ボクの幼少時代のお話を少し。

プロフィールに書いている通り
ボクは生活保護を受ける家庭に育ちました。

その前は、会社を経営したり、
スナック(飲み屋)を
経営したりしていた時期も
あったようです。

スナックを経営していた時期は
ちょうどボクが幼稚園の頃で、
住んでいた団地のすぐ下まで
バスで送り迎えしてもらっていました。

両親とも不規則な生活をしていたし、
下に弟や妹もいたこともあって
バスのところまでボクはだいたい一人。

よそんちのママが送り迎えに
来てくれているのが羨ましかったです。

この頃かなぁ??
この写真はまだ幼稚園前かな??

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ちょっと表情が大人びてない?

小学生に上がった頃から
生活保護を受けるようになったようだけど、
子どもの頃はそれがどういう意味か
よくわからなかった。

母親がいつも
「お金がない」と言ってたので
うちは貧乏なんだなぁって
思ってました。

その後、父親が体を壊し、
母親も体が弱かったことから廃業。
その結果、生活保護ということらしい。

こうなると、よそんちとうちの違いを
あちこちで感じるようになって
「あ〜、うちは普通じゃないんだなぁ」
って感じるようになりました。

「普通の家庭」ってのは、
ボクにとっては「お父さんが働いている家庭」。

「普通っていいなぁ」
「普通がいいなぁ」

そう思いながら育ちました。

そのうえ、
「普通じゃないから馬鹿にされる」
「馬鹿にされないようにちゃんとしなくちゃ」
こんな気持ちが強くて、
体操服の名前も規定の大きさと
5mm違ってただけでやり直してくれと
母親に泣いて訴えていました(^^;)

融通の利かない子どもでしたね。

そのくらい馬鹿にされないようにと
意識を強く持っていたんだと思います。

こうして「普通じゃない」っていう
とっても劣等感が強くなっていきながら
大人へと成長していきました。

ただ救いは、両親が愛情を注いでくれたことです。

4つ上に生まれた兄が生まれてすぐに
亡くなってしまったということもあって
2回目の長男として林家に生まれてきたボクに
とっても愛情を注いでくれました。

やりたいことをなるべくやらせてあげよう。

こんな気持ちがものすごく強い両親でした。

こんなこともあって、
ボクは強い劣等感を持ちながらも、
自分らしい人生を生きていこう!

親の影響を受けてたまるか!

ちゃんと勉強して、
自分で自分の人生を創っていこう!

そう思いながら生きてきました。

現在、「自信のない方専属ライフコーチ」として
自信がない、劣等感が強い、
でも、自分らしい人生を生きていきたいんだ!
という方を応援しているのはこういう背景からです。

かなり、端折っちゃいましたけど(^^;)

高校卒業したら、
もう親がどうとか、
家庭がどうとか関係ありませんからね。

時々、いい歳して、
「自分が不幸なのは親のせいだ」なんて
思い続けている
かつてのボクみたいな人もいるけど(笑)

今、この瞬間から、
自分で自分の人生を創っていこうよ。

「愛」の反対は「憎しみ」ではなく「無関心」。

もし、親のことを「嫌い」「憎い」のであれば、
それは「好き」と同じこと。

嫌いなのであれば、あなたの人生の登場人物から
消してしまえばいいわけだからね。

わざわざ「嫌い」とか「憎い」とかって
意識を持ち続けて、
人生のキャストに残しているってのは
「好き」以外のなにものでもよね(^^)

まぁ、すんなり「そっか」なんて
思えないかもしれないけど、
あなたの人生の登場人物をあなた自身が
決められることだけは覚えておこうね。

自分で自分の人生を創っていきたい!
林に伴走してほしいって人は、こちらからどうぞ。

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この記事を書いた人

林 忠之

1969年、佐賀県生まれ、大阪府堺市育ち。幼少期から生活保護家庭で強い劣等感を抱えて育つ。中学二年生の夏、脳性マヒの級友が、300mを1時間以上かけて泳いだことに感動し、千葉大学教育学部養護学校教員養成課程に進学。1992年に卒業後、劣等感から抜け出すべく俳優の道へ。国民的アイドルとの共演を果たすが、その後挫折。28歳でリクルートグループに就職。求人広告営業で8年連続表彰されるが、部下育成につまずき、コーチングと出会う。コーチの「人を応援する生き方」に使命を感じ、2008年独立。株式会社プラス・スタンダード代表取締役に就任。